東野圭吾 秘密
最近、東野圭吾にはまっている。
今さらかよって思われるかもしれないが、あまりにメジャー過ぎて少し敬遠してたからだ笑
だが、友人から白夜行を薦められ軽い気持ちで読み始めたら止まらない止まらない。
結局そこから東野圭吾を狂ったように読んでいる笑
「秘密」のあらすじはこうだ。
主人公、杉田平祐の妻と娘がバス事故に合う。
妻は亡くなり、娘が奇跡的に目を覚ますのだがその体に宿っていたのは妻であった···
東野圭吾は登場人物が基本的に全員不幸だ。
誰も救われない結末であることの方が多い。
読んでいて憂鬱になることも多々ある。
本作も例外ではない。
主人公家族、被害者遺族、そして加害者遺族とそこに関わるさまざまな人々。
全員この事故によって大きく人生が歪められた。
しかし、その中でもそれぞれ皆戸惑いながら傷つきながら自分の人生を進めたり、楽しもうとしている。
主人公やその妻も年月が経ちお互いの関係性の変化に振り回されながらも、決断を下していく。それが最後にはタイトルと関わっていくのだが···
人間生きていると辛いことや悲しいことは確実に起きる。それがこの小説のバス事故のようにとてつもなく大きいものである人もいれば、祖父母や両親の死など、必ず通らなければならない出来事である人もいる。
それでもそれを誤魔化しながら、乗り越えて生きていかなければいけないのだ。
その葛藤や感情の動き、情景描写がとても緻密でリアルである。
なので登場人物に感情移入できる。
どうしてそんなことするのとも思いながら、でもそうする気持ちもわかるよなーとか心で言いながら読み進めていく笑
そして東野圭吾のすごいところは、これで終わりかと思ったところから、もう一捻り加えてくる。
残り10ページ程からの怒濤の展開により、一気に視界が開けすべてのピースが埋まる。
それが気持ちいいのだ笑
そして大抵悲しい結末なのだ笑
それでもとてつもなくおもしろいのだ笑
東野圭吾の本を読み終えた感覚はジグソーパズルを完成させたときに非常に近い。
長い時間をかけ、少しずつ積み上げたものが完成したときには充実感で胸が一杯だ。
そこに悲劇や絶望というスパイスがかかり、例えるのが難しい満足感で心が満たされる。
この感覚が病み付きになりまた読んでしまうのだ。笑
恐らくだから、彼の本は売れるのだろう。
みんなこの例えようのない不思議な充実感を味わうために。
ただひとつ疑問が残る。
悲劇的でもあり絶望感に苛まれる本を、人はなぜおもしろいと感じるのだろうか。
ハッピーエンドで気持ちよく本を閉じる方がいいとは思う。
けど、悲劇的な東野圭吾(人によってはハッピーエンドとも解釈できる?)の結末を読んだときはそれとは違った読後感で満足していることも確かだ。
でもなぜなんだろうね笑
とっても不思議だ。
それを考えながら次は「悪意」でも読もうかなー
ほんならまたね